忍城址 [その他の史跡/建造物]
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忍城址の口コミ


忍の浮き城 忍城 謙信軍・三成軍と戦って負けなかった名城
掲載日:2012-03-29
投稿者: 旅人Mさんキャラコレ1順目の 忍城址への評価は★5です。
【忍城】おしじょうは別名「忍の浮き城」、「亀城」とも呼ばれます。
関東七名城のひとつで、古くは成田氏の城でした。戦国時代、上杉謙信との戦に耐え、豊臣秀吉による北条小田原攻めの戦の際にも、北条方と組して豊臣勢=石田三成の大軍にも屈しませんでした。結果として小田原城が先に陥落したため抵抗を止め投降したのですが。
上杉謙信と成田氏との戦は、巡り合わせによるものと何かで読んだ記憶があります。成田氏は源頼朝から将軍に対しても下馬することなく馬上から挨拶することを許された家で、代々の当主はそれをステータス、家の誇りとしていたそうです。当初の成田氏は北条と敵対する謙信に味方しており、謙信の関東管領就任の際に馬上から挨拶をしましたが、経緯を知らない謙信は馬上の礼を無礼ととらえて馬から引きずり降ろしたため、成田氏は武門の恥をかくこととなり上杉に反旗を翻したという話でした。
石田三成軍との戦いは、秀吉の備中高松城攻めを真似て忍城攻略を図り、いわゆる石田堤を築きましたが、戦略ミスで貯水が自軍に流れ込み多くの兵を失うなどの大失策を繰り返して攻めあぐね、小田原城が落ちて忍城勢が投降してくれたのでかろうじて面子を守ったのでした。
これは、忍城が湿地帯に築かれた難攻不落の城であったからの話であって、現在の忍城を見ても「関東七名城のひとつ」に首を傾げるだけでしょう。
そこで、忍城に行ったら城内掲示板にある『忍城鳥瞰図』(配置図)を必ず御覧になってください。忍城の複雑な配置と自然環境の巧みな利用とに「納得」されるはずです。
今の忍城跡からは全く想像できない沼地の中の名城だったのです。
『忍の浮き城』や『亀城』の名はかつての忍城につけられたものだったのです。
余談ですが
石田三成が忍城攻めに本陣を敷いた場所はさいたま古墳群の中のひとつの古墳頂上でした。
車でしたら大した距離ではありませんので、そちらもセットでご見学ください。(古墳登り口には、石田三成本陣跡との表示があります。)
役に立った人 11人

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